体験談

不登校の体験から私が感じたこと。親と私と友達と。

不登校体験談

私は小学校の5年生~6年生まで不登校でした。

なんで学校行けないの?原因はなんだ?
不登校児に対して思うことは様々でしょうけど、これは当時私が思っていた素直な気持ちを記事にしてます。

分かってない。自分勝手。親の気持ちも考えろ。
などなどあると思いますが、こんな考えをした子もいるのです。

不登校になった原因

私が不登校になったのは原因を1つに絞るのは難しい。

小学校4年生からの友人関係の変化が発端です。女の子3人組で仲が良かったのですが、私がみんなと一緒に映画を見に行けなかったことがきっかけで、なんとなく仲間外れにされることが増えました。

遊んでいても置いていかれたり、クラスで委員会決めをするときも2人は同じ委員会に入り私だけ別だったり、そうした仲間外れでじわじわと地味に追い詰められました。

私は運動が苦手なことから男子からも良く馬鹿にされる存在だったので、人気者でもなく、他に行くグループなどありません。

男子からの「運動が下手」「ブス」「バーカ」。ありきたりのイジリには先生も乗り始める始末で、逃げ場なし。

さらに私が仲間外れのきっかけにあたる映画に行けなかったのは、うちの親が厳しく制限があったからです。

こうして私は学校にも、家にも居場所がなくなりました。

不登校

最初は徐々にですが、じわじわと。学校の授業も、友達関係もどうでも良くなりました。これが始まりです。

思い返せば1番幸せな時期でもありましたが、友達なんて要らないと思い、休み時間も寝て、苦手な体育もやる意義を感じなくなりサボり気味に。

そこから学校そのものがどうでもよくなり、不登校になりました。

うちの親は厳しく、学校を休むなんて絶対ぬ許さないというタイプだったので、無理にでも行かされましたが、1度試しに大暴れしてみたところ、あっさり学校に行かなくて良くなったのです。実はこれも親への信頼が消える後押しをしました。

いつも、勉強しなさいとか、部活も絶対辞めたらだめとか、くだらないテレビを見るなとか、色々と制限される中で育ちましたが、1度私が大きく反発するとなにも言えなくなる親をみて考え方が変わりました。

絶対的な存在でしたが、今までうるさく言ってきたことも何の信念も理由もなく、強く言われれば黙る、その程度のものだったのか、それをずっと怯えながら信じていたことも馬鹿馬鹿しくなりました。

再登校まで

最初は1週間くらい休んでまた学校に行くつもりで、これは自分へのご褒美みたいな気分。

でも1週間経ち、いざ学校に行こうとした月曜日に風邪を引きました。

風邪が治っても学校に行こうとすると気分が悪くなり、これが本当の不登校の始まりです。

正直、学校に行かなければ将来がだめになる、と子供ながらに不安はありました。学校には行きたくないけど、行かないと社会のレールから外れてダメになると。

そうして2年間、同じことばかりぐるぐる考え続けました。

親は私が不登校になってしまったことよりも、「学校に行かないと大学に行けなくなる」という心配ばかりで、さも私が喜ぶかのように「ほら学習教材買ってきたよ、これで勉強すれば大学も行けるよ」と言ってきて、私の精神面なんか関心もないんだと思いました。

「親はだめだ。」平行線だと悟ったとき、たまたまテレビのドキュメンタリーで同じく不登校だった人が出て来たとき、

私の不登校が終わりました。

その人は小中と不登校だったけど、好きなゲームをやり続けるうちにゲームプログラマーを目指し、そしたら勉強が必要になって16歳くらいからやり直した人でした。

不登校でも16歳から勉強しても、十分まともな大人になれることを知り、なんだか肩の荷がおりました。それと同時に中学からは学校に行ってみるか、という気持ちになったのです。

まとめ

子供が不登校になったとき、親の理解がないと立ち直りは難しいと思います。親も自分目線での心配しかできず、子供の心を理解するのは難しいのです。(我が家の場合はですが。)

だからこそ、子供の自立性に任せるのがいいと思います。私のきっかけはテレビでしたが、子供に対して様々な大人の姿を見せることで考えが広がるのではないでしょうか。