今、自分にとって何が頭を悩ませているか。
そう考えた時に、人間関係の問題が出てくる人は多いと思う。
何かいつも自分だけ損な役回りを押し付けられている、あの人が自分の思った通りに動いてくれなくてイライラする、あんなことを言われて腹立たしい…そんな時に役立つのが、課題の分離という考え方だ。
心理学者であったアルフレッド・アドラーが提唱したこの考え方は、対人関係でストレスフルな社会を生きる我々に大きなヒントを与えてくれる。
課題の分離とは
簡単に言えば、最終的にその責任を引き受けるのは誰かを考えた上で、他人に自分の課題には足を踏み込ませない、他人の課題にはむやみに足を踏み込まないということだ。
例えば、ある資格試験があるとしてその勉強をしているとする。
ここで、友人が勉強の仕方についていちいち口出しをしてきて、結果としてイライラしてしまったとしよう。
さて、ここで考える必要があるのが、資格試験の結果は、その最終責任は誰が引き受けるのかということである。間違いなく自分であり、決して友人ではない。
この場合、自分の課題に土足で他者を踏み込ませてしまっていることになる。
自分の課題なのに他人に踏み込まれる事はいわゆる干渉であるが、そこでイライラしてはエネルギーの無駄だ。
「この資格試験は自分の課題であり、あなたの課題ではない。だから踏みこんでこないで」と一言言えばいいだけである。
資格試験の勉強をどのようにするか、その結果は誰が引け受けるか。それは全て自分であり、決して友人ではないのだ。
課題に足を踏み込んだケース
さて、この例とは逆に他者の課題に足を踏み込んだケースも考えてみたい。
友人が離婚をして落ち込んでいて、深刻な顔をして相談を持ちかけられたとしよう。
離婚をしたという事実はあるが、その事実に直面しているのは友人であり自分ではない。
つまり、離婚したことに対して最終的に責任を引き受けるのはその友人なのである。
友人と同じになって、心が引き裂かれるまで一緒に悩む必要がないということだ。
突き詰めて言えば、悲しいという感情はその友人のものであり、自分にはその友人の感情をコントロールすることはできないということなのだ。
コントロールできないものを無理やりコントロールしようとするから、大変になってしまう。
他者の課題は他者が解決することであり、自分が解決するということはないのである。
課題の分離まとめ
一見冷たいように感じられる、この課題の分離という考え方は実は社会生活を送る上でとても大切である。
課題の分離がきちんと出来ている人は、人間関係の中で一体何が問題になっているのかを把握して、その上で自分自身が今何をしなくてはならないのかを考えて行動ができる。
他者の感情を変えることができないのが分かっているので、むやみに他者の感情に踏み込まない。
また、自分の感情を他者にコントロールさせない。
実は、この課題の分離というのは人間が主体性を持って生きてゆくための最大のヒントなのではないだろうか。