自分が幼稚園の頃に、父親と自転車に乗る練習をしました。三輪車や幼児用の自転車は年相応に乗れたのですが、自転車になるとサッパリでした。
父親から毎日猛特訓をさせられ、いつも泣き泣き練習を続けました。この辛さは今でも覚えています。本当につらかったです。
辛い日々があまりにも長く続いたので、小学校に上がる頃には自転車に乗ることは諦めてしまい、自転車はそのまま自転車置き場に放置になりました。
1つ目の教訓「時期」
小学校では学校が終わると、みな自転車に乗って友達の池に遊びに行っているのですが、自分だけは走って遊びに行く生活が続きました(おかげで足は速くなりましたが・・)。
そして小学校2年生になったある日、小さな自転車に乗っていた友達が私の自転車を見つけ、乗ってみたいと言い出しました。私は自転車のカギを取りに家に戻って、自転車を引いて友達の方に向かいました。
そのとき何となく自転車に乗れるような気がして、試しに乗ってみると、なぜか簡単に自転車に乗れたのです。この嬉しさは今でも忘れられません。
そのあと帰宅した父親に、私が自転者に乗っている姿を見せると、父はあまりに突然の出来事に、泣いて?喜んでいました。
自転車というものは、1回乗れると完全に乗れてしまうもので、それ以降は普通に乗るようになりました。
自分自身の教訓として、『自転車は「時期」が来たら乗れるようになる』というものが、私の頭の中に強くインプットされました。
時は流れ、私の子供も自転車に
それから30年ほどの時が経ち、自分の子供も幼稚園に行くようになり、自転車に乗る練習をし始めます。
やはり自分の子供だけあって、幼稚園では自転車に乗ることができません。でも、私は自分の教訓から、怒ったり慌てたりせずに「その時」が来るのを信じて待つのです。
そして、子供が小学校に上がると、私より早い時期に、やはり自分と同じくある日突然、自転車に乗れるようになりました。
私の教訓は合っていました。
2つ目の教訓「サイズ」
そして今度は2番目の子供が幼稚園に上がり、自転車の練習を始めることになりました。
練習を始めるにあたり、自転車屋さんに行って自転車を購入しました。2番目の子供は仮面ライダーが好きなのですが、大きめの自転車は売っておらず、小さい自転車を買うことにしました。
そして驚いたことに、何と一発で自転車に乗れてしまったのです。
何故すぐに乗れたのかをよくよく考えると、どうも、自分の背丈に合った(恐らく十分に足が付く位の)自転車だと、簡単に乗れるのではないかということが判りました。
2番目の子供から得た、「自転車に乗れる」ことの教訓として、「子供が簡単に自転車に乗れるには、背丈に合った自転車で練習する」ことが最後になって得られたのです。
何当たり前のこと言ってるんだ?と思われるかもしれませんが、補助輪なしの自転車練習では、つま先が付くか付かないかギリギリのラインで練習している人が非常に多いです。
おわりに
自分の家族としては今更の教訓ですが、孫たちは辛い目に合わずに自転車に乗れることを楽しみにしています。まだ、孫はいませんが…。
最後に「子供が簡単に自転車に乗るようにするためには」を纏めますと、
・乗れる「時期」が来るまで、焦らず怒らずじっくり待つ。
・背丈に合った自転車で練習をする。